■商業化路線の先鞭

 同時に、アディダスはレフェリーウェアもワールドカップに提供することに成功する。こうして、FIFAとアディダスの関係が始まるのである。1970年、FIFAはイングランド人のサー・スタンリー・ラウス会長の時代だった。ラウス会長はFIFAやワールドカップの「商業化」に断固反対の立場だったが、4年後の会長選挙で当選するブラジル人のジョアン・アベランジェ会長(在任1974~1998)が推進した「商業化路線」の先鞭をつけたのは、ラウス会長だったのである。

 そして1974年、アディダスの地元、西ドイツでのワールドカップを迎える。アディダスは白黒の「テルスター」を再び「公式球」にすることに成功し、合わせてレフェリーウェアも確保した。この時期、トップクラスの選手たちの大半はアディダスのシューズでプレーしており、十分に「アディダスの大会」と言ってよかったのだが、それに満足せず、大胆なマーケティング戦略を展開する。

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