■定説を覆した選手たち

 天皇杯決勝は例年通り、1981年1月1日に国立競技場で行われ、JSLの強豪、三菱重工(浦和レッズの前身)がJSL2部の田辺製薬を破って優勝しました。

 僕は1965年度の第46回大会で釜本邦茂が4年生だった早稲田大学がJSL王者の東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)を破って優勝した試合(1966年1月15日開催)から、毎年欠かさず天皇杯決勝を観戦していますが、この1981年元日の試合だけが唯一の“欠席”となりました。

 ワールドカップ予選のほうは、金田喜稔や木村和司、風間八宏、戸塚哲也といった若手テクニシャンが並んだ夢の中盤が素晴らしい試合を見せてくれました。それ以前は「日本選手はアジア相手でもテクニック的に劣る」という前提の下、走って勝負するしかなかった日本代表でしたが、この大会ではボール・テクニックで中国や北朝鮮を圧倒したのです(ただし、決定力不足のため、準決勝で北朝鮮に敗れてしまいましたが……)。

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