■費用は「現在の1億円」相当
バイエルンは1月4日朝に羽田空港に降り立つと、寒風をついてその夕刻に代々木公園内の「織田フィールド」で汗を流し、翌5日とその2日後の7日に国立競技場で日本代表と2試合をこなすと、その晩にミュンヘンに向かって飛び去った。試合はいずれも1-0でバイエルンの勝利だった。この2試合でバイエルンに支払われたギャラは、『サッカー・マガジン』3月号で牛木素吉郎さんが書いた記事によれば3000万円だったという。現在の価値に直して1億円ほどだっただろうか。
そして『サッカー・マガジン』は、あろうことか、この2試合の速報を、1月13日発売の「2月号」に巻頭カラーから全30ページを割いて大特集したのである。通常の年であれば、元日の天皇杯決勝を速報するのが精いっぱいだった。当時の正月は3日までまったく仕事は始まらない。その中で元日の夜にカラーフィルム現像所に特別出勤してもらい、2日と3日で編集作業をして入稿し、4日に仕事を始める印刷所に入稿して、発売日にぎりぎり間に合うという日程だった。それを7日の試合まで入れるというのである。印刷所も大変だっただろうが、編集部もフル稼働だった。
ベッケンバウアーの「独占インタビュー」も敢行した。1月5日、第1戦の後の夕刻、宿舎の東京プリンスホテルに部屋を借りてのインタビューである。ベッケンバウアーから許されたのはわずか30分間。通訳をしているヒマなどないから、『サッカー・マガジン』でドイツ語の翻訳をしてくれていた東田龍男さんに質問項目を渡し、矢継ぎ早に質問して答えてもらうという形をとって4ページの記事をつくった。














