■敗戦を覆した「日本最強のストライカー」
だがこのころの日本代表にはFW釜本邦茂がいた。前半19分にDF古田篤良のパスを受けて日本に先制点をもたらしていた釜本は、劣勢のなか、中盤に下がって守備を助ける動きもしていたが、その一方で、虎視眈々(たんたん)と「ひとつのチャンス」を狙っていた。アディショナルタイムに入ってすぐ、日本はカウンターアタックからセンターバックの小城得達が右サイドを突破、低いパスを中央に送ると、走り込んだ釜本が、前進する相手GKの足元を抜いてゴールに流し込み、2-2の引き分けに持ち込んだのだ。
そのような始まり方をした日韓定期戦だったが、翌年はソウルで0-2の完敗。第3回は東京で4-1の快勝だったが、この直前まで行われていたアジア競技大会(テヘラン)で日本がグループリーグの3試合だけで敗退し、休養十分だったのに対し、韓国は決勝リーグまで6試合を戦っての来日だっただけに、あまり参考にならない。ちなみに、前年のソウルでの定期戦には出場しなかった釜本は、この試合でも2点を記録している。














