■「過密日程」「中継減少」…冷めた熱狂
だが1995年には早くも「熱狂」が冷め始め、その後は急速に冷えて、1997年には1万131人まで落ち込んだ。チーム数の急速な増加、毎週2試合、水曜日と土曜日に続けられた「過密日程」、テレビ視聴率の低迷による中継の減少など、たくさんの要因が重なった。
しかし1998年に日本代表が初めてワールドカップに出場、2002年ワールドカップの地元開催(韓国との共同開催)もあって「サッカー人気」が再び盛り上がり、Jリーグもここで踏みとどまった。そして2001年には、前年まで3シーズン続いた1万1000人台から一挙に1万6548人に飛躍する。
その背景にあったのは、「スタジアム整備」だった。2002年ワールドカップに向けて、日本の各地に4万人以上の規模のスタジアムがいっせいに完成したのが2001年だった。ワールドカップ会場にはならなかったが、東京の味の素スタジアムと愛知県の豊田スタジアムも、完成は2001年のことだった。












