サッカーは常に変化している。そうして新たな時代が築かれていく。だが中には混乱を生む、歓迎されない変化もある。蹴球放浪家・後藤健生が、頭を悩ませたように……。
■ジダン「伝説ボレー」の決勝戦で対戦
選手時代のプラセンテは2002年の日韓ワールドカップにも出場しています。ユース時代には1997年のワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)マレーシア大会で優勝しています(U-20ワールドカップで選手としても監督としても優勝した人物はいないそうです)。
1997年大会と言えば、山本昌邦監督の日本代表も出場。現日本サッカー協会会長の宮本恒靖や中村俊輔、柳沢敦、廣山望(現U-17日本代表監督)などがいるチームでしたが、準々決勝でガーナと戦い、延長戦の末に敗れてしまいました。
ですから、僕もマレーシアまで観戦に行っていましたから、プラセンテのプレーも見ています。
また、2002年5月にスコットランド・グラスゴーのハンプデン・パークで行われた2001-02UEFAチャンピオンズリーグ決勝は、あのジネディーヌ・ジダンのボレーシュートで有名でしたが、その試合にも当時レバークーゼンのサイドバックだったプラセンテが出場していますから、その試合も僕は観戦していました。超攻撃的だったレバークーゼンの攻撃の一翼を担っていました。
ヘアスタイルが変わると、人間の印象はすっかり変わってしまうものですね。







