■絶好の教師だった「フットボール」
「パブリック」は「公衆の」を意味する言葉だが、「パブリックスクール」は「公立学校」などではない。純然たる「私立」の中等教育機関で、原則として寄宿制、非常に高額の授業料を必要とする「エリート養成スクール」だった。こうした学校が生まれるまで、英国の学校といえばキリスト教会に付属し、貴族の子弟だけを受け入れるものだった。そこに産業革命によって商工業で裕福になる者が生まれ、貴族でない子弟も教育する機関として誕生したのが「パブリックスクール」だったのである。
そのパブリックスクールでは、教育のためにフットボールを使うところが増えていった。パブリックスクールの教育目的は、「ジェントルマン」を養成することだった。困難に打ち勝つ勇気、ルールを順守する精神、自制心やリーダーシップの養成などに、フットボールは絶好の教師だったのである。
各校にはそれぞれの特有のグラウンド環境があり、人数もルールもさまざまにプレーされた。ただし「フットボール」の名は共通していた。そして生徒が卒業して大学に進むと、19世紀の前半には、さまざまなパブリックスクールのルールが組み合わされ、また新たなルールが出来上がっていく。
そうしたフットボールのルールを統一し、広くみんなで楽しめる競技にしようとしたさまざまな試みの末に生まれたのが、1863年の「フットボール・アソシエーション(FA)」であり、「アソシエーション式フットボール(サッカー)」であり、そしてラグビーだった。
よく知られているように、ラグビー・フットボールは、「パブリックスクール」のひとつである「ラグビー校」でウィリアム・エリスという少年がボールを持って走ったのが始まりとされている。FA結成時の会議でルールに賛同せずに脱退したチームによって8年後に独自の統一ルールがつくられ、近代スポーツとしてスタートした。









