■努力、信念、決断で「ワールドクラス」に

 そして、オリンピックの活躍を見た各国のクラブからオファーを受け、釜本さん自身も西ドイツ行きに意欲的だったと言われるが、オリンピックまでの疲労の蓄積からウイルス性肝炎に罹って海外移籍を断念することになる。

 当時の釜本さんの力からすれば、どこの国のどんなクラブに行っても成功は間違いなかっただけに、海外移籍が実現しなかったのは返す返すも残念なことだ。

 日本でサッカーがまだマイナーな時代に釜本さんのようなタレントが現われたのは奇跡のようだ。

 だが、同時に逸材の誕生を見逃さなかった関西のサッカー界。そして、東京オリンピックのときに、ようやく20歳という若い才能を信じて日本代表に招集し続けて、ついに東京大会に間に合わせた長沼健監督以下、日本代表の首脳陣の信念。

 さらに、自らに足りないものを考えて、努力を積み重ねて完成度を高めていった釜本さん本人の努力。さらに、現在ほどサッカー界の国際交流が活発でなかった当時、釜本さんを西ドイツの留学に送りだしたヤンマーの決断……。そうした、いくつものプロセスを経て、ワールドクラスのストライカー釜本邦茂は完成したのである。

 日本サッカー界への釜本さんの大きな貢献に感謝し、ご冥福をお祈りしたい。

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