後藤健生の「蹴球放浪記」第268回「スポーツ界に必要な長嶋的な存在」の巻(2) 3人の息子が「J1リーグ」で活躍する“プロ野球レジェンド”が語った「3点差の試合」で求められるのプレーの画像
1966年秋にはドジャースが来日。米大リーグで日本人がプレーできるとは誰も想像していなかった。提供/後藤健生

「ミスタージャイアンツ」、そして「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんが亡くなった。野球という競技、あるいはスポーツという枠を超えて、日本中に大きな影響を与えてきた人物だった。蹴球放浪家・後藤健生も影響を受けた。「プロ・スポーツとは何か」を教えてもらったのだ。

■ニックネームが「必要」だった理由

 スポーツ選手に、そうしたニックネームを付けて呼んでいたのは、当時のスポーツ報道がラジオと新聞だったからでしょう。

 つまり、一般ファンにとっては映像(動画)を見る機会がないわけです。

 そこで、選手のキャラを立たせて、イメージしてもらうために、ラジオの実況アナウンサーや新聞記者たちは選手にニックネームを付けて報道したのでしょう。

 その後、テレビが普及すると、それぞれの選手(力士)の顔や体形、プレースタイルなどを見ることができるようになり、ニックネームは必ずしも必要ではなくなりました。

 ただ、報道がマスコミに限られていた時代には、実況アナや記者はそれぞれのスター選手に色を付けて報道するわけです。たとえば、インタビューで本人は「僕は……」と言っているのに、紙面では一人称が「ワシは……」に書き換えられているとか、です。

 しかし、最近のように選手本人がSNSを通じて直接発信できるようになると、より等身大の人間としてのイメージが広まっていき、昔のスター選手のようなキャラを立たせる必要はなくなってきました。

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