後藤健生の「蹴球放浪記」第268回「スポーツ界に必要な長嶋的な存在」の巻(1)ミスターが教えてくれた「プロの在り方」、「人間起重機」「打撃の神様」…なぜニックネームが付いたのかの画像
1966年の後楽園球場での巨人対広島戦外野席入場券。広島の「王シフト」がよく見えた。提供/後藤健生

「ミスタージャイアンツ」、そして「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんが亡くなった。野球という競技、あるいはスポーツという枠を超えて、日本中に大きな影響を与えてきた人物だった。蹴球放浪家・後藤健生も影響を受けた。「プロ・スポーツとは何か」を教えてもらったのだ。

■「見るスポーツ」は野球と大相撲だけ

 去る6月3日に、長嶋茂雄さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

 長嶋さんは1936年生まれで僕よりも16歳年長で、僕が小学校に入学する1年前に立教大学を卒業して、読売巨人軍に入団しました。つまり、僕が野球というものを知った頃の、スーパースターでした。僕は子どもの頃、四角い顔をしていたので、周囲の大人たちから時々「長嶋に似ている」と言われたこともありました。

 ですから、長嶋“選手”にはさまざまな思い出があります。その長嶋さんが亡くなったというニュースを聞いて、子ども時代のスポーツにかかわる思い出がいろいろ蘇ってきました。

 僕の父親はスポーツ観戦が好きでテレビのスポーツ中継をよく見ていたので、僕もさまざまなスポーツを目にすることになりました。当時でも、サッカーやラグビーの中継は年に数回ではあっても存在したので、「そういうスポーツがある」ということは認識していましたが、本格的にサッカーに接したのは1964年の東京オリンピックのときでした。

 それより前のスポーツにかかわる記憶は、ほとんど大相撲とプロ野球です。

 はっきり言って、東京オリンピックより前の日本には、「見るスポーツ」としては相撲と野球(それにプロレス)以外、存在していなかったのです。

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