無条件で信頼していた日本の「小さな兄」、冷徹だった「日本への評価」、ワールドカップ得点王に送った「追悼文」【亡くなった「史上最高のサッカー・ライター」】(4)の画像
兄弟のように仲が良かった賀川浩さん(右)とグランヴィル(2006年ワールドカップ・ドイツ大会、フランクフルトで)。 ©Y.Osumi

 史上最高と称されたサッカー・ライターが亡くなった。サッカージャーナリストの大住良之が、その足跡を辿る。

■欧州選手権における「初対面」

 私が初めてブライアン・グランヴィルに会ったのは、1992年の欧州選手権(スウェーデン)のときだった。賀川浩さん、そしてカメラマンの今井さんと一緒にマルメからイェーテボリに向かう列車に乗ると、ひとつのコンパートメントで年配のジャーナリストが若い記者に囲まれて話をしているのに出会った。

 賀川さんはすでにグランヴィルと知り合いだった。すぐにコンパートメントのガラス張りのドアをノックし、グランヴィルにあいさつした。そして私たちを紹介してくれた。

「グランヴィルさん、『ワールド・サッカー』でのあなたの記事をいつも楽しみにしていますが、ときどき難しい英語にぶつかり、苦労しています」

 と正直に話すと、彼は笑いながら「そうかね」とうなずき、「申し訳ないが、私は日本語が書けないんだ」と言った。

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