■「年長の選手に心やいろんなことを教わって、人間として成長できた」
思い起こせば、バルセロナで育った少年・久保が代表入りしたのは2019年6月。初キャップのエルサルバドル戦(宮城)は18歳になったばかりの時だった。その段階では、金田喜稔の持つ19歳119日の代表最年少得点記録後進が確実視され、代表エースになる日もすぐ来ると見られていた。
しかし、久保の序列はなかなか上がらず、コロナ禍も災いして、初ゴールまで3年を要した。そこで長いトンネルを抜け出したと思われたが、2022年カタールW杯本番は守備に奔走するばかりで、自分らしいプレーとは程遠い結果に終わった。本人も納得いかない大会になったに違いない。
第2次森保ジャパン発足後もなかなか中心になり切れなかった。最終予選突入後もシャドウの主軸は南野拓実(モナコ)で、久保と鎌田は交互に先発という形。「僕は大人になったんで」と口では言っていたものの、「なぜスペインで活躍している自分がそういう扱いを受けるのか」と不完全燃焼感を拭いきれなかったことだろう。
森保監督からもそのスタンスを問われたことがあったという。試合に出られない長友佑都(FC東京)のようなベテランはエゴを捨て、代表に全身全霊を注いでいる。その姿も目の当たりにし、自分が変わらなければいけないと感じたはずだ。
「幼さがなくなった要因として、年長の選手に心やいろんなことを教わって、人間として成長できたのが1つ。あとは選手のレベルがすごく上がり、それに揉まれたことで自信がついたというのがあると思います」
久保もバーレーン戦後のMOM会見で語ったが、6年経ってようやく名実ともに”代表看板アタッカー”の資格を得たと言っていい。少し時間はかかったが、それは日本代表にとって間違いなく朗報である。
(取材・文/元川悦子)
(後編へ続く)