■フラストレーションからの「開放」
しかし、僕は中国語は本格的に勉強したことがないので、漢字は読めてだいたいの意味は分かるのですが、発音がでません。まして会話は不可能なので、毎日生活しているとフラストレーションが溜まってきました。
1泊2000円のホテルは庶民的な下町にあったので、ホテル内も周囲でも英語など絶対に通じません。
もっとも、こういうときには、たまに僕の発音が通じるとすごく嬉しくなります。食べ物屋の壁に書いてある漢字(紅焼牛肚粉)を見ながら中国風に「ホンシャオニュウドフェン」と発音してみたら、一発で通じて幸せな気分になったこともあります。
これが英語なんかだと、通じないとショックを受けますが、中国語なら通じなくてもともと、通じたらラッキーなので、気楽と言えば気楽なのですが……。
でも、意味が分かるのに読むことができないというのは気が滅入ります。「フリガナでもふっておいてくれぇ~」と叫びたくなります。
そこで、思い出したのが、昔、東北地方(昔の満州)を旅行したときに、朝鮮族自治区の延吉(中国語でイェンジー、朝鮮語でヨンギル)を訪れたときのことでした。
中国ですから看板にはもちろん漢字が書いてあります。しかし、住民の多くは朝鮮族ですから、ハングルも書いてあるのです。漢字は発音ができませんが、意味はすぐに分かります。一方、ハングルでは意味が分からない言葉もたくさんありますが、表音文字ですから発音は分かるわけです。で、漢字も中国語の音で読まずに、朝鮮式の音読みで読めばいいわけです(日本では一つの漢字に音読みが2つも3つもありますが、朝鮮語では1つの漢字に音読みは1つだけしかありません)。
こうして、朝鮮自治区にいる間は、「読めるのに発音できない」というフラストレーションから開放されて、きわめて楽しかったものでした。