■親切だった人々の「運命」は?
さて、なんでそんな古い話を思い出したのかと言えば、2024年12月にアサド大統領の独裁政権が崩壊したことで、シリアに関するニュースを頻繁に目にするようになったからです。
ロシアに亡命した前大統領のバシャール・アル・アサドは、ハーフィズ・アル・アサド元大統領の次男でした。僕がシリアに行ったときは、そのアサド(父)大統領のバアス党政権が安定していた時代でした。
2000年6月に父大統領が死去して、息子が跡を継ぎましたが、2011年の「アラブの春」(民主化運動)で反政府勢力が台頭。アサド(息子)大統領は反対派を厳しく弾圧してきましたが、さまざまな勢力が入り乱れた激しい内戦が続きました。
ですから、若い読者の方々は、シリアというと「危険な国」という印象が強いでしょうが、僕が行った頃はもちろん独裁政権下にあったのですが、社会は安定し、会う人は皆とても親しみ深い人たちでした。
ビザをもらうためにシリア大使館でインタビュー(実際には雑談)してくれた係官、取材ビザで入国したため、必要な登録に行った情報省係官のムニアール・アリ、ホテルまで様子を見に来てくれたジェネラル・ブーゾ。シリア代表の中で一番、英語がうまかった(英語教師だった)GKのベルクダール……。
まあ、日本人が珍しかったからでしょうが、皆に親切にしてもらった記憶ばかり残っています。
そのシリアは、10年以上に及ぶ激しい内戦で破壊され尽くしてしまいました。
当時、出会ったあの人たちには、その後、いったいどんな運命が待ち受けていたのでしょうか? シリアやイランのサッカーについていろいろ教えてくれたベルクダールは北部のアレッポ出身だと言っていましたが、歴史の古いアレッポは完全に破壊し尽くされてしまったと伝えられています。