■縛られないチーム作りで「再興」へ
改革をもたらしたのは、ミゲル・ムニョスという監督だった。1982年のワールドカップ後にスペイン代表監督に就任したときには、すでに60歳だった。彼はレアル・マドリードでプレーし、1956年の第1回欧州チャンピオンズカップでキャプテンとして優勝カップを掲げ、選手として3連覇に貢献した後、1960年と1966年には監督として2回の優勝に導いた。レアル・マドリードでリーガ優勝9回。完全な「レアルの男」だった。
だが、その彼がレアル・マドリードにも、もちろんFCバルセロナにも縛られないチームづくりでスペインの「再興」を果たす。
1984年にフランスで開催される欧州選手権の予選に臨んだミゲル・ムニョスは、それまでの少数のクラブを融合させるというチームづくりを廃し、所属クラブにこだわらず必要な選手をピックアップしてチームとして鍛えるという方法をとった。
予選第7組は、スペインのほか、オランダ、アイルランド、アイスランド、マルタの計5か国で構成された。アイスランドとマルタは完全なアウトサイダー。アイルランドが多少手ごわいが、このグループの出場権(首位1チームのみ)は、オランダとスペインの争いになると予想された。
予選は1982年の6月にマルタ×アイスランドで始まり、1983年の12月まで全20試合が行われた。当時は欧州でも国際試合日は完全にセットされたものになってはおらず、当該国同士の調整だったため試合消化はバラバラだったが、スペインとオランダとの対戦はともにホームチームが勝ち、オランダはアイスランドと、そしてスペインはアイルランドと引き分けて、ともに5勝1分け1敗、勝ち点11で1983年の12月を迎えた。