サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、17歳の天才ラミン・ヤマルの1得点4アシストの活躍もあってEUROで優勝したスペインが、苦しみから這い上がり、無敵艦隊へと名乗りを上げるキッカケとなった「奇跡の試合」。本当にあるんですね、そんなことが…。
■スペイン・サッカーの「中心」
スペインのサッカーには「中心」がふたつある。首都マドリードと、長く独立の気概を示し続けているカタルーニャの町バルセロナである。そして両都市には、レアル・マドリードとFCバルセロナという巨大クラブがある。スペインのサッカーは、マドリードとバルセロナ、正確に言えば「レアルとバルサ」の「綱引き」で成り立っているといっても過言ではない。
歴代の代表監督は両クラブのバランスを取ることに腐心した。このワールドカップ1978年大会のスペイン代表監督、ラディスラオ・クバラは、チェコスロバキア、ハンガリー、そしてスペインの3か国の代表としてプレーした経歴をもち、「彼の活躍でカンプノウ(FCバルセロナのホームスタジアム)が建てられた」と言われるほどの名選手だったが、レアル・マドリードとFCバルセロナからきっちり5人ずつを選出している。
1982年に自国で開催されたワールドカップでは、リーグ連覇を飾っていたレアル・ソシエダから最多の6人が選出されたが、それでもレアル・マドリードから5人、FCバルセロナから4人が選出されている。監督はレアル・マドリードで長くセンターバックとして活躍したホセ・サンタマリアだった。
この大会、スペインは1次リーグを1勝1分け1敗でなんとか突破して2次リーグに進んだが、3チームのグループでの第1戦で西ドイツに敗れ、2戦目のイングランド戦(結果は0-0)を待つことなくこのラウンドでの敗退が決まった。
地元開催のワールドカップでも「古色蒼然(そうぜん)」といったスペイン代表のイメージを消し去ることはできず、スペインは世界のみならず欧州でもトップクラスからほど遠い存在という状況を打破することができなかったのである。