■欧州大陸を「二分する」大戦争に突入
第一次世界大戦が勃発したのは1914年。日本でいえば大正3年に当たる。現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(故イビチャ・オシムの生まれ故郷である)は、このころオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったが、この1914年6月28日、訪問中の帝国皇太子夫妻が暗殺されるという事件が起こった。この事件をきっかけにバルカン半島情勢が悪化し、それまでの数十年間で構築されていた欧州各国の軍事同盟化もあって、8月には欧州大陸を二分する大戦争に突入するのである。
「中央同盟国」と呼ばれたのは、ドイツ帝国を中心に、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国(トルコ)、後にブルガリア王国が加わる。一方、「連合国」と呼ばれたのは、イギリス帝国、フランス共和国、ロシア帝国、大日本帝国だった。「連合国」には、後にイタリア王国、ルーマニア王国、そしてアメリカ合衆国が加わり、文字どおりの「世界大戦」となる。
戦争は1年目から激しいものとなった。ドイツ軍とイギリス軍・フランス軍が激突した「西部戦線」は、互いに相手の背後に出ようという作戦から戦線が南北にどんどん延び、ついには中立国スイスとの国境から北海まで、500キロを超す長さで両軍が対峙する形となった。その前線では、機関銃などの殺傷能力が増したことで、互いに「塹壕(ざんごう)」と呼ばれる「空堀」のようなものを延々とつなげ、兵士の身を守りながら機を見て攻撃するという戦法がとられた。
互いに二重三重の塹壕を掘ることで10月ごろから戦線が膠着し、「連合国」、「中央同盟国」とも、数十万人の兵士同士がともに塹壕に入って対峙するという形になって、やがて冬になった。