■サポーターにとっても「過密日程」
この試合には、5万6824人が詰めかけたが、ゴール裏には若干の空席があった。
やはり、関西勢同士の対決だったことが原因だろう。どちらも万単位のサポーターが駆けつけたが、やはり、残念ながら上京できなかったサポーターもいたことだろう。
なにしろ、神戸はサポーターにとっても過密日程だ。
J1リーグの優勝も間近で、来週11月30日(土)のアウェー柏レイソル戦で優勝が決まるかもしれないし、12月にACLエリートの試合で韓国に行く計画を立てているサポーターもいるはずだ。
もう一つの原因は、決勝戦のスケジュールである。
かつて、天皇杯決勝は1月1日の元日と決まっていた。
初めて元日に天皇杯決勝が行われたのは、1968年度の第48回大会。日付でいうと、1969年1月1日のことだった。
ちょうどメキシコ・オリンピックで日本が銅メダルを獲得した直後の大会で、決勝戦のカードはヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)と三菱重工(浦和レッズの前身)。日本代表の2大スター、釜本邦茂と杉山隆一の直接対決となったので、国立競技場には約4万人の観客(主催者側発表)が詰めかけた。
それ以来、天皇杯決勝は、元日に旧国立競技場での開催と固定されていた。