■どのクラブも準備段階「チーム名に親会社」
第1回大会は、1992年の秋、9月5日に開幕し、11月23日に決勝戦が行われた。出場は翌年からのJリーグに参加する10クラブ。全チームが1回総当たりのリーグ戦を行い、上位4チームで準決勝、決勝という形だった。
翌年のリーグ・スタートに向けて、どのクラブもまだ「準備段階」にあった。スタジアムも改修中のところが多く、使用スタジアムはさまざまだった。「カシマスタジアム」の竣工予定が翌年春だった鹿島アントラーズは、最初のホームゲームを茨城県ひたちなか市の笠松運動公園で開催した後、残りの「ホームゲーム」は、東京の国立競技場、名古屋の瑞穂球技場、広島の広島県総合グラウンドで開催した。最後の2つは、いずれも相手(名古屋グランパスエイト、サンフレッチェ広島)のホームスタジアムだった。
クラブ名も、「ホームタウン名+ニックネーム」というJリーグの大原則がまだ完全に適用されておらず、鹿島、名古屋、広島、そして清水エスパルスの4クラブを除く6クラブには、「親会社名」がつけられていた。
「東日本JR古河サッカークラブ(翌年はジェフ市原)」、「三菱浦和フットボールクラブ(浦和レッドダイヤモンズ)」、「読売日本サッカークラブ(ヴェルディ川崎)」、「日産FC横浜マリノス(横浜マリノス)」、「全日空佐藤工業サッカークラブ(横浜フリューゲルス)」、「パナソニックガンバ大阪(ガンバ大阪)」といった具合である。