■「切り離すことはできない」人間とサッカー
「フットボールという『もの』があるとすれば、それはただの丸いボールそのもののことですね(大住注:英語と同じように、スペイン語でも競技名とともにサッカーのボールそのものも「フットボール」と表現する)。しかし、私たちがフットボールと呼ぶのは、(中略)人間がプレーするサッカーなのです。だから、人間とサッカーを切り離して考えることはできません」
「これは愛情と同じです。愛情という『もの』は存在しない。お互いに愛し合う男性と女性が存在するのです。そして愛し合う人間同士が成長していくわけです。サッカーの発展についてもそうです。1980年代のサッカーはどのように進歩するだろうかという話でしたが、サッカーが進歩するのではなく、サッカーをする人間が進歩するわけです」
こんなメノッティの言葉を思い出したのは、11月2日に国立競技場でJリーグYBCルヴァンカップの決勝戦、「名古屋グランパス×アルビレックス新潟」を見ているときだった。
「カップという『もの』は存在しない。カップをめぐって全身全霊でプレーする人間たちがいるだけだ」
素晴らしい試合だった。初めての大舞台に緊張気味の新潟だったが、前半9分過ぎに自陣ゴール前でDF舞行龍ジェームズを皮切りにGK阿部航斗を含めて16本のパスをつなぎ、ついに名古屋の強烈なプレスを脱して前線に送ると、さらに4本のパスをつないで最後は名古屋ゴールを脅かすクロスを送った。
このプレーで新潟の選手たちは「自分」を取り戻し、以後は本当に見事な試合になった。名古屋も新潟も互いに自チームの良さ、チームとしての決めごとの中で個々のストロングポイントを発揮し、まれに見る見応えのある試合になったのである。
ルヴァンカップは1992年の「ナビスコカップ」でスタートし、1995年には開催されなかったものの、今年の決勝戦で32回目になった歴史ある大会である。