ワールドカップ本大会出場に向けて、着実に歩みを進めているサッカー日本代表。現在、アジア3次予選C組で首位に立っており、次に対戦するのはインドネシア代表だ。ここ数年で急速な進化を遂げ、「決して侮ってはならない相手になった」と警鐘を鳴らすのは、サッカージャーナリストの大住良之。11月15日にアウェイの地で戦う「ライバル」を徹底的に分析する。
■30万人のインドネシア人が「送還」
インドネシアは、1940年代後半の「独立戦争」時代に、30万人とも言われる人々がオランダに渡ったと言われている。
マレー半島からスマトラ島、ジャワ島を中心とした1万数千の島々からなるインドネシアは、香辛料を求めたヨーロッパ人が16世紀から来航、17世紀には当時バタビアと呼ばれたジャカルタを中心にオランダの「東インド会社」の支配下に置かれた。そして1799年に東インド会社が解散すると、オランダ王国の植民地となる。その状態は1942年まで続き、この年の日本軍の侵攻によりオランダ軍は駆逐されるが、今度は日本の支配を受ける形となる。
1945年8月15日に日本が連合国に対し無条件降伏をすると、それを確認したインドネシアは2日後に独立を宣言。しかしオランダはこれを認めず、4年間にわたって独立戦争が続き、ようやく1949年、アメリカの圧力でオランダが譲歩、名実ともに独立国となった。こうしたなか、30万人ものインドネシア人がオランダに「送還」を強いられたと言われているのである。第二次世界大戦によって、オランダ本国では労働力が決定的に不足していたからだ。
そうした人々の子や孫で、プロサッカー選手として最初に有名になったのは、1970年代から1980年代にかけてアヤックスなどで活躍したシモン・タハマタだっただろう。身長164センチと小柄で素晴らしいフットワークとテクニックを持ち、オランダ代表としても22試合に出場している。
タハマタはオランダ南部の「フフト」という小さな町の出身だったが、両親がインドネシア、といっても今日の姿にまとまる前に数多くあった独立共和国のひとつである「南モルッカ」の出身であることを大きな誇りとしていた。現在のように「インドネシア代表」でプレーする機会が開かれていたら、間違いなくその赤いユニフォームを着ていただろう。