大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第148回【中村敬斗と伊東純也がゴールを量産「フランス人の誇り」ランスの真実】(3)ボール泥棒が活躍「10年間で5回」優勝、レアル・マドリードとの「決勝後」の別れの画像
日本代表の伊東純也と中村敬斗が両翼を担うスタッド・ランスは、かつてレアル・マドリードと欧州の頂点を争った。撮影/渡辺航滋(Sony α‐1)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、伊東純也と中村敬斗、2人のサッカー日本代表選手が背負う「フランス人の誇り」。

■地元生まれのストライカーが「初の快挙」

 この大戦前から大戦後の時期にかけてチームを牽引したストライカーが、地元ランス生まれで鉄道員の息子だったアルベール・バトーである。1937年に18歳でスタッド・ドゥ・ランスの1軍にデビュー、第二次世界大戦をはさんで1948/49シーズンには、後半戦の14戦12勝という快進撃でクラブに初のリーグアン優勝をもたらした。

 このシーズンはプレーヤーとしてのバトーの頂点ともいうべき1年間で、29歳のバトーは初めてフランス代表に選出され、8試合に出場して1ゴールを記録している。8試合のうち最後の4試合はキャプテンのアームバンドを巻いた。

 1950年、31歳のバトーはスタッド・ドゥ・ランスの監督に就任する。リーグ4位に終わったシーズンの終盤に、彼は大きな宝物を発見する。アンジェでプレーしていたレイモン・コパである。4-4の引き分けに終わった練習試合でコパの才能を認めた彼は、移籍金の一部を自分で負担してコパの獲得に成功した。

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