■抑留者の「約1割」が死亡、帰国の「完了」は
第二次世界大戦後、中国の東北地方(満州)などから60万人近くの日本兵がソ連によって抑留された。シベリアでの森林伐採や建設事業の労働力として連行されたもので、後にシベリアにとどまらず、旧ソ連の各地に移送されて何年にもわたって過酷な労働を強いられた。そして厳しい気候と劣悪な食事、住環境のため、抑留者の約1割が亡くなったという。最終的に「帰国」が完了したのは1956年。終戦から11年も経た後だった。
抑留日本兵は中央アジアのウズベキスタンにも2万3000人が移送され、ダムや運河建設などの重労働に使役された。そしてウズベキスタン内だけで884人が亡くなった。ミリー・スタジアムから車なら約5分のヤッカサライ地区にある「日本人墓地」は、日本に帰ることができずこの地で果てた人びとを埋葬し、慰霊する場なのである。
1997年秋にワールドカップ1998フランス大会の「アジア最終予選」が行われ、日本代表は韓国、UAE、カザフスタン(当時はアジアサッカー連盟=AFC所属だった)、そしてウズベキスタンと同組になった。ホームのウズベキスタン戦で予選をスタートする日本は、アウェーでUAEと戦った後にホームに韓国を迎え、その後、中央アジアに飛んでカザフスタン、ウズベキスタンと連戦という日程だった。