■シベリア抑留者のひとり「父」からの手紙

 その中央アジア連戦の取材に出発する前、私は父に電話してウズベキスタン戦の取材のためにタシケントに行くことを話した。父はシベリア抑留者のひとりで、シベリアのバイカル湖の近くで1年間働かされた後、タシケントに移されたことを聞いていたからだ。
 すぐに達筆の父から手紙がきた。
 「前略。アラブ首長国連邦は毎日40度の暑さとのこと。仕事と暑さで苦労させられたと思いますが元気ですか。(中略)今度は私が2年在住したウズベキスタンの首都タシケントでウズベキスタン戦があるとのこと。50年前ですが、同国人は日本人と顔も頭髪(黒)も似ており、日常生活や食事も日本によく似ていて私らには親切でした。果実の名産地です。刺しゅうは名産で、帽子は美しいです。シベリアと異なり、いま想えば夢のようです。後日話を聞かせてください。楽しみにしています」
 最初はとても意外な気がした。「夢のよう」とまで書いているからだ。しかし、読み返すと「いま想えば」という語句は、後から挿入したものだった。父は1948年に帰国したが、3年間の強制労働の厳しさ、苦労が、逆に「夢のよう」という言葉から浮かび上がる気がした。

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