■アテネ大会と違う「キックオフ直後」

 パラグアイと対戦した初戦では、20年前の2004年アテネ大会のことが報じられる機会が多かった。アテネ・オリンピック開幕戦でやはりパラグアイと対戦した日本代表は撃ち合いを演じた末に3対4で敗れ、続くイタリア戦にも敗れてグループリーグで敗退してしまった。

 当時のチームは田中マルクス闘莉王や今野泰幸松井大輔大久保嘉人といった、のちにフル代表で活躍する選手たちを擁し、オーバーエイジ枠でGKの曽ヶ端準や那須大輔、小野伸二を加えたチームだったから期待度は高かった。

 ところが、パラグアイ戦では開始直後の5分にあっさりと先制を許し、イタリア戦でも3分に失点し、後手を踏んでしまったのだ。

 オリンピック本大会だけでなく、当時はあらゆるカテゴリーで日本チームは試合開始直後に失点する試合運びの拙さが目立った。

 当時オリンピック・チーム代表を率いていた山本昌邦監督は、「筋肉量の少ない日本人選手は試合開始直後、相手がフルパワーで来る時間帯での無酸素運動の部分で劣る」ということを盛んに言っていた。

 だが、20年後のパリ・オリンピックでのパラグアイ戦では、日本代表はキックオフ直後から相手にプレッシャーをかけて相手陣内で試合を進めた。5分には右CKから関根大輝がヘディングでパラグアイゴールを脅かし、13分には抜け出した山本理仁がシュート。14分には三戸舜介が落としたボールを内側のレーンを突破した斉藤光毅がドリブルで運んだりと、単にボールを握っているだけでなく決定機を作り続けて試合の流れを完全に引き寄せた。

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