■ワールドカップ予選は「経験を積む場」

 戦後も日本サッカーの目標はオリンピックだった。

 日本は1954年のスイス・ワールドカップ予選には参加したが、ワールドカップに参加した選手はオリンピックに参加できなくなる可能性があったため、1958年のスウェーデンワールドカップ予選には参加せず、最大の目標はオリンピックであり続けた。

 1964年には東京でオリンピックが開催されることになっていたため、日本サッカー協会は西ドイツからデットマール・クラマーコーチを招聘して日本代表を集中強化。このチームがほぼ同じメンバーで強化を続けて、1968年のメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得することになる。

 その後は、日本代表はオリンピックとワールドカップの予選にも挑み続けたが、アジア枠が少ないワールドカップ予選突破の可能性は小さかったし、プロを含むヨーロッパ、南米勢に挑戦するには日本サッカーの実力が足りないことは明らかであり、日本サッカーにとっての最大の目標はやはりオリンピックであり続けた。ワールドカップ予選は、オリンピック予選のために経験を積む場のように考えられていた。

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