■U-17世界選手権ベスト8「プロに近づいた」

――「サッカー選手として生きていける」という確信を持ったのは?

「そうですね…。1993年、高2の夏にU-17世界選手権に出場し、ガーナ、イタリア、メキシコ、ナイジェリアと対戦し、ベスト8になりました。「プロに近づいた」と思ったけれど、同時にまだ不安もありました。その後、1995年にガンバ大阪とプロ契約をし、試合にも出ましたが、これでやっていけると思ったのは1年目の最後ごろだったでしょうか」

――19歳を迎える前ですね。

「はい。本当にこれで行けると思ったのは、1997年のFIFAワールドユース選手権(現在のFIFA  U-20ワールドカップ、マレーシアで開催)。スペイン、コスタリカ、パラグアイと対戦してグループを突破、ラウンド16ではオーストラリアを下し、準々決勝でガーナに1-2で敗れましたが、ベスト8に入りました。その大会を終えて帰ってきてから、確信に変わったと思います」

――この1997年には、ガンバ大阪でも完全にレギュラーとなりましたね。

「その翌年、1998年にフランス人のフレデリック・アントネッティという人がガンバ大阪の監督に就任したのですが、“ミヤ、おまえは監督をやるようになるよ”と言われたんです。21歳になったばかり、プロ選手としてやっていけると確信できたすぐ後のことで、そのとき、選手としてのキャリアの先に監督があると、初めて意識しましたね。そういうふうに言われて、面白いなと思ったのを覚えています」

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