後藤健生の「蹴球放浪記」第211回【夢の「ハワイ旅行」帰りに国立競技場で見た「夢」】の巻(2)釜本引退、奥寺渡独の日本代表とソ連3部チームが激突の画像
アムール戦の入場券。単色刷りというあたりにも、「ヤル気」のなさが感じられる。提供/後藤健生

 時間がずいぶんと昔に巻き戻されたようだ。多くの人が記憶にないような円安へと為替相場が進んでいる。そんな時代にも、蹴球放浪家・後藤健生は海を渡っていた。ハワイから、国立競技場へ。そんな夢のような旅行をしたのは、1978年のことだった。

■ハワイ帰りに羽田から「国立競技場」へ

 その「アップダウンクイズ」に出場して優勝したのは1976年の秋のことで、賞品のハワイ旅行は1977年にあったのですが、他に用事があって参加できず、1978年の旅行に参加させてもらいました。

 こうして、出発した1週間弱の「夢のハワイ旅行」。ホノルルだけでなく、ハワイ島やカウアイ島も訪れるという、なかなか豪華な旅行でした。

 しかも、参加者はクイズ番組の優勝者ばかりですから、同年代の参加者同士で意気投合(ちなみに、当時、僕は25歳の青年でした)。帰国の前夜は飲み会となり、ほとんど一睡もせずに帰国便に搭乗することとなりました。

 こうして、僕は3月26日の朝、東京の羽田空港に戻ってきたのです。

 そして、僕は荷物を持ったまま羽田から国立競技場に向かいました。「朝日国際サッカー」の第3戦、日本代表対アムール・ブラゴベシチェンスクの試合があったのです。

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