■ストイコビッチ監督が率いた「広州のチーム」は

 2017年に川崎フロンターレの試合を見に広州を訪れたときに、僕は「南越王墓」を見に行きました。王墓は1983年に発見されたものなので、前にここを訪れたときには博物館は存在していなかったからです。

 王墓を見学してから、僕は越秀山に行ってみました。「そうだ、越秀山体育場はどうなっているんだろう?」と思って見に行ったのです。

 ソウル五輪予選が行われたのは1987年に建設されたばかりの「天河体育中心体育場」でしたし(2017年の川崎の試合も同スタジアム)、2010年には広州で第16回アジア大会が開催され、8万人収容のオリンピックスタジアムも建設されました。

 だから、「古い越秀山体育場がなくなっちゃうんじゃないか」と心配だったのです。

 でも、越秀山体育場は元気に改修中でした。ピッチも新しく作り直しているようでしたし、スタンドには屋根も架けられ、青いプラスチック製の個席を取りつけ中でした。

 青のチームカラーは、中国超級聯賽(スーパーリーグ)所属で、不動産会社がスポンサーとなって広州に移転してきたばかりの「広州富力足球倶楽部」のものです。広州富力では、その後ドラガン・ストイコビッチを監督として迎えたこともありましたが、親会社の経営難のために2023年には解散してしまいました。

 越秀山体育場は、これからどうなってしまうのでしょう? いや、かつてはアジアに覇を唱えた広州恒大も2部相当の甲級聯賽に降格してしまいましたが、中国のサッカー自体、どうなるんでしょうかねぇ……。

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