■足を踏み入れると数センチ沈む「泥沼」の国立で
「雪」というと必ず語られるのが1987年のトヨタカップだ。欧州代表FCポルト(ポルトガル)対南米代表ペニャロール(ウルグアイ)は、多くのファンにとって忘れられない試合となった。
試合が行われたのは12月13日。例年であれば、東京で雪が降る時期ではない。だが、この年の12月は異常で、1週間前の12月6日も未明から雪となった。東京都心部で12月上旬に雪が降るのは、第二次大戦後初めてだった。中山競馬場の中央競馬は中止になったが、国立競技場でのラグビー「早明戦」は決行された。5センチの降雪に対し、関東ラグビー協会が200人を動員して除雪に当たったのだ。
明治大学のキックオフで試合が始まったときには雪はやんでいたが、空はどんよりと曇り、グラウンドが乾く気配はない。しかも除雪は完璧ではなく、ピッチ上には取り残された雪が筋状に残っていた。国立競技場のピッチはこの2年後に大改修され、冬季に緑になる「冬芝」のタネを秋に撒いて年間を通じて緑を保つ形になる。しかし、この1987年12月、芝生は完全に枯れていた。そして激しいラグビーの試合である。残っていた雪が融け、ピッチがまさに泥沼と化す中、10-7というスコアで早稲田が勝利をつかんだ。トヨタカップはその1週間後である。
さらに悪いことに、早明戦からトヨタカップまでの1週間、東京は気温の低い曇天が続き、太陽はまったく顔を出さなかった。国立競技場のピッチは、整備によって一応は平らになっていたが、足を踏み入れると数センチ沈むという「泥沼」の状態は、早明戦の日からそう変化はなかったのである。