サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、「原口元気のゴールをも止めた白い悪魔」。
■東京ヴェルディ、名古屋グランパスの前身が「大雪」決戦
さて、サッカーを追いかけてきた半世紀以上の取材生活で、私は何度か大雪に影響を受けた試合に出合ってきた。その最初が、1975年1月、日本サッカーリーグの1・2部入れ替え戦、トヨタ自動車対読売サッカークラブだった。
1969年に創立され、1972年には新設の「日本サッカーリーグ2部」のメンバーとなった読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)。1974年に2部で初優勝を果たし、自信満々1部最下位(10位)のトヨタ自工(現在の名古屋グランパスの前身)との入れ替え戦に臨んだ。入れ替え戦はホームアンドアウェーの2戦制で、第1戦がトヨタのホーム、愛知県のトヨタスポーツセンターで1月13日に行われた。
キックオフ予定は午後1時。だが、前夜から愛知県地方を襲った「10年ぶり」という大雪は、グラウンドに20センチもの深さで積もっていた。トヨタのサッカー部は集められるだけの関係者50人を集め、早朝から雪かきに当たった。その中には、当日の入れ替え戦に出場予定の選手たちも含まれていた。しかし、数時間の作業では完了せず、キックオフは午後3時半までずらされた。
トヨタの選手たちが汗を流して延々と作業をしている間、読売クラブの選手たちは競技場を見下ろすスポーツセンターの暖かなティールームでにぎやかに談笑しながらお茶を飲んでいた。これでは試合にならないだろうと私は思った。読売はジョージ与那城を中心にテクニックの高い選手を並べて得点力が高く、一方のトヨタは前年の1部で18戦して3勝2分け13敗、得点8、失点36と、悲惨な成績だった。その上に雪かきの疲れが重なったら、トヨタはとても勝ち目はないだろうと思われたのだ。
だが、試合はやってみなければわからない。トヨタはチーム一丸となってハードな守りを展開して読売クラブの突破を許さず、前半終了間際にPKを獲得するとキャプテンの泉政伸が左隅に決めて1-0で勝ってしまったのだ。そして1週間後に東京の西が丘サッカー場で行われた第2戦でも、気力十分のトヨタが3-2で勝ち、1部残留を決めたのである。