■情報が錯綜「大連開催説」や「平壌開催説」も

 そこまでは、事態は合理的に進んでいた。

 そして、2月8日にオリンピック予選に向けての日本代表メンバーが発表されたときに、佐々木則夫女子委員長からこうした経緯が明らかになったのだが、その後、「中立地」がどこになるのか、さまざまな情報が錯綜した。

 北朝鮮側は数少ない友好国の一つである中国開催を希望したため、「大連開催説」があったが、中国側が受け入れに消極的で、そこで中東開催という情報も出てきたのだ。さらに、一転して平壌開催となる可能性も消えておらず、日本代表は第1戦の開催地未定のままでトレーニングを進めるしかなくなってしまった。

 もともと、海外組は長距離移動の負担を避けるため、日本には帰国せず、現地で集合する計画だったが、開催地が未定という状態が続いたため、一部の選手は帰国した。

 そんな中、AFCからサウジアラビアのジッダ開催の方向で準備を進めるよう連絡があったのが2月20日。試合開催のわずか4日前だった。そこで、正式決定を待たずに、日本チームは20日の夜に現地に向けて出発。主将の熊谷紗希南萌華はイタリアから帰国したものの、1泊してすぐにジッダに向かうという強行日程となってしまった。また、現地集合となった海外組は合流後2日ほどしか合同トレーニングができなくなったのだ。

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