■未知の南米大陸へ

 もちろん、アルゼンチンと1試合して帰ってくるわけではない。ブラジル、ウルグアイなどを回り、数試合して帰ってこようというものだった。私の主目的は、これらの欧州チームとアルゼンチン、ブラジルなどの南米勢の対戦を通して翌年のワールドカップへの見通しを探るとともに、アルゼンチンがどんな国で、ブエノスアイレスがどんな町かを調べ、さらには、翌年のワールドカップに向けて『サッカー・マガジン』の「基地」を用意し、現地での態勢を整えることだった。

 そもそも、私が大学を出て決めた就職先をベースボール・マガジン社、『サッカー・マガジン』の編集部と絞ったのは、1978年にアルゼンチンで行われるワールドカップを取材することが大きな目的だった。入社1年目の1974年西ドイツ大会は無理としても、5年目なら行くチャンスがあるのではないか…。『サッカー・マガジン』では、すでに1970年のメキシコ大会に堀内征一さんを取材に出すという実績があった。

 当然、1974年の西ドイツ大会の取材チーフは先輩の築出知平さんになったが、さまざまな幸運と橋本さんの取り計らいで、私は1974年の西ドイツ大会にも大会前半だけながら行くことができた。そして1978年大会には私がチーフとなって現地取材することは、すでに決まっていた。しかし、『サッカー・マガジン』にとっても南米は未知の場所だった。何か月かに一度、リオデジャネイロに住む日系の望月雅臣さんが素晴らしい写真を送ってきてくれていたが、編集部員、あるいは契約しているカメラマンを派遣したことはなかった。事前に調査ができれば、それに越したことはなかった。

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