サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「地球の裏側で…」。
■アルゼンチンVSヨーロッパ
今日は、私にとって初めての南米取材の話をしよう。それは1977年の5月から6月にかけての約4週間、ブエノスアイレスを中心にアルゼンチンを訪ねた。それは、翌年に控えたワールドカップ・アルゼンチン大会の準備を兼ねた取材だった。
「こんな試合があるんですけど…」
『サッカー・マガジン』で正式な社員の編集部員になって3年、1976年の年末に私が編集部長の橋本文夫さんに見せたのは、愛知県の鈴木良韶和尚が主宰する『日本サッカー狂会』の会報『FOOTBALL』だった。海外からのサッカー情報がほとんど欧州のものに限られ、南米からの情報に限りがある中、この会報に掲載される太田一二さんの「アルゼンチン便り」の生き生きとした文章は、いつもとても役に立った。
その号の太田さんの「アルゼンチン便り」には、1977年の5月から7月にかけて欧州の代表チームが続々と南米に飛び、アルゼンチン代表と試合をすることが書かれていた。試合は、5月29日のポーランド戦から始まり、6月5日西ドイツ、12日イングランド、18日スコットランド、26日フランス、そして7月に入ってからも3日ユーゴスラビア、12日東ドイツと続いた。
近年のように、国際サッカー連盟(FIFA)が、ワールドカップの「プレ大会」としてFIFAコンフェデレーションズカップ(2001~2017年)、FIFAアラブカップ(2021年)、あるいはFIFAクラブワールドカップ(2025年)を開催してくれるわけではない。しかし、欧州の各国には南米遠征の経験などほとんどない。そのため、ワールドカップの前年に遠征を計画したのだ。