■「そういう監督の下でやった方が一番輝ける」
特に注目されるのが荒木だろう。2020年に東福岡高校から鹿島入りし、2年目の2021年にはJ1・10ゴールをマーク。日本代表候補にも名を連ねたほどの逸材だ。その時点ではパリ五輪代表のエース格と見られていたが、2022年からの2年間は定位置を失い、出番が激減。五輪代表からも遠ざかり、本人も苦悩の日々を強いられていた。
「自分のプレーの質やコンディションは正直、落ちていないと思ってたし、出ればやれるというのは分かっていた。そういう中で自分を必要としてくれる監督の下でサッカーしたいっていうのが一番でした」と荒木は移籍を決断した理由を口にしたが、今のところは思惑通りに進んでいる模様だ。
「(2020~21年に師事した)ザーゴもトップ下を置くサッカーをしていたけど、自分はそういう監督の下でやった方が一番輝ける」とも彼は語っており、クラモフスキー体制の東京にとってはキーマンになり得る存在だ。
実際、指揮官が清水を率いていた時も鈴木唯人がそのポジションでブレイクしたが、荒木は同じような軌跡を辿る可能性が十分ある。「ゴール・アシスト合わせて2ケタ」という目標を達成できれば、ディエゴ依存の得点力も多様化し、バリエーションが広がりそうだ。