後藤健生の「蹴球放浪記」第199回「四川の二都物語」の巻(1)サッカー日本代表が戦った「反日感情」激烈の地の画像
2004年アジアカップ中国大会のADカード。提供/後藤健生
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 決勝を前に、日本、韓国、イランといった強豪が姿を消した2024年のアジアカップは、この大会の奥深さを思い知らせた。サッカー日本代表はこれまでも、この興味深い大会を何度も戦ってきた。今回、蹴球放浪家・後藤健生が思い出すのは、ちょうど20年前の大会だ。

■2004年のアジアカップ

 みなさん、もう、アジアカップなんてずっと昔のことのようにお感じのことでしょうね。

 しかし、「アジアカップの思い出」シリーズにもう1回だけお付き合いください。前回は2000年レバノン大会でしたから、今回は2004年の中国大会です。

 中国大会については、過去にも「蹴球放浪記」で取り上げました(第22回「北京発済南行便欠航大災難」の巻、第23回「超便利な工体酒店」の巻)。今回は、重慶と成都という2つの街の物語です。

 この大会は「反日ブーイング」の大会として記憶されています(それと、忘れてはならないのは「宮本恒靖次期JFA会長の英雄譚」ですかね?)。

 どの試合でも、試合前の国歌吹奏の場面で中国の観衆が「君が代」、「日の丸」に対して激しくブーイング。試合中は、日本の対戦相手に対して声援を送り続けました。そして、決勝戦で日本代表が中国を破って優勝を決めた後は観衆が工人体育場周辺で暴徒化。日本人サポーターがスタジアム内に閉じ込められてしまいました。

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