「魂込めました。足に…」森保監督が語るアジア杯「キング」の一撃  大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第130回(1)の画像
サッカー日本代表・森保一監督の胸には、今もキング・カズの一撃が残る。撮影:中地拓也

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「現サッカー日本代表監督が遠い目をして語るアジアカップ優勝へのワンシーン」。

■1992年のアジア大会

「そうですね。イラン戦のカズさんのゴールかな…」

 カタールでのアジアカップの半ば、グループステージが終わったとき、日本サッカー協会が粋な計らいをしてくれた。「お茶を飲みながら、森保監督と話しませんか」と、日本のメディアに声をかけてくれたのだ。

 このチャンスを逃してなるものかと、30人近い記者が集まったため、「ミニ記者会見」のようになってしまったが、「アジアカップでの最大の思い出は?」という質問が出たときに、森保監督はちょっと「遠い目」をしながら、ゆっくりとそう答えた。

 森保監督は、選手として1大会、そして監督としては今回で2大会目、計3大会の「アジアカップ経験」がある。前回は苦しみながらも準決勝のイラン戦で最高の勝ち方を見せて、日本としては4回目の決勝進出に導いたのだが、決勝戦では、勢いに乗るカタールに1-3で敗れた。もしかすると、その決勝戦のことを話すのではないかと思ったのだが、「カズさんのゴール」という言葉を聞き、なるほどと思った。

 AFCアジアカップの第10大会は、1992年に日本で開催された。といっても、会場は広島県内の4スタジアムだけ。広島広域公園の陸上競技場(ビッグアーチ)と、それに隣接する小さな「第一球技場」、そして広島の中心部から遠くない古く小さな広島スタジアム、さらに尾道市の県立びんご運動公園の陸上競技場の4会場だった。

 実は、この大会は日本サッカー協会が主体的に招致活動をしたものではなかったのである。2年後の1994年に広島で開催されるアジア競技大会の「リハーサル大会」として、広島県が主導して誘致したものだった。

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