■伊東が長くプレーした理由
J1リーグは約1か月前の12月3日に最終節を迎えており、国内組はそれ以降プレーしていなかった。同7日の天皇杯全日本選手権決勝に出場した細谷やAFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループステージ最終戦でプレーした三浦颯太も、すでに3週間ほど試合をしていない。
その後、シーズンオフに入っていた国内組だったが、12月28日に集合した時点でしっかりとコンディション作りをしてきたことに対して、森保一監督は「プロフェッショナルとして敬意を表する」と語った。だが、コンディションが整っていても、やはりゲーム体力や試合勘と言う意味では公式戦を経験させておく必要があった。
それが、元日のタイ戦だったのだ。
そのため、アジアカップ・メンバーに招集された国内組のうち、細谷と佐野には90分、毎熊には78分までのプレー時間を与えたのだ。
一方、海外組はコンディションがバラバラだった。
所属しているリーグによってウィンターブレーク入りの時期が異なっているからだ。ただ、いずれにしても直近までリーグ戦などを戦っていた選手たちには、なるべく休養を与える必要があった。そこで、海外組のプレー時間は基本的に45分に制限したのだ。
例外が78分までプレーした田中と68分までプレーした伊東だったが、田中はアジアカップ・メンバーには招集外となったのでタイ戦後、ドイツに戻ってチームに合流してリーグ戦再開に備えることができる(森保監督は、タイ戦の前に田中を招集しないことを決めていたはずだ)。
今では代表のエースとなった伊東純也は68分までプレーした。
「伊東こそチームを動かすリーダーの一人だ」というメッセージだったのだろう。そして、連戦を苦にしない伊東という選手の性質を考えての起用だったのだろう。
いずれにしても、タイ戦の先発メンバー選びや選手交代は戦術的なものというより、第一にコンディションの調整を第一に考えてのものだった。