■「ドーハ密輸事件」
新聞記者という仕事のかたわら、母校である関東学院高校(横浜市)の指導にも時間を割き、後には少年たちの指導にも当たった。少年たちを相手に口が酸っぱくなるほど説いたのは、「止める、ける」の大切さだった。スピードあふれるサッカーをするには、どんなボールでもワンタッチでコントロールし、次のプレーにつなげていく基本技術のレベルが高くなくてはならない。もちろん、荒井さんが理想とするサッカーに近づくための基礎となるものだった。
荒井さんは、「酒好き」としても知られていた。私たちジャーナリスト仲間で荒井さんの話になると必ず出るのが、「ドーハ密輸事件」である。
1993年の秋、カタールのドーハで1994年ワールドカップのアジア最終予選が行われ、日本から数百人の取材陣がかけつけた。カタールはイスラムの国。旅行案内にも「アルコールは飲めない」と書かれていた。
だが2週間も酒を飲めないなんて、荒井さんには考えられなかった。そこで一計を案じ、「密輸」を決行したのである。当時は田舎の空港そのものだったドーハ国際空港の税関を出た直後の「現場」に、私も居合わせた。荒井さんは満面に笑みを浮かべ、「大住くん、やったぞ!」と、右手のこぶしを握りしめながら、小さな、しかし力強い声で言った。
なんと荒井さんは、牛乳の1リットルパックに酒を入れ、カムテープで厳重に包んだものを、何本もスーツケースの奥にしまい込んでいたのだ。ドーハの税関では、すべての荷物をX線で検査し、ビン類がはいっていれば即座に調べられる。そこでX線には写らない牛乳パックにしたのだという。私はあきれつつも、「酒飲みの情熱」に感心した。
だがこの話には後日談がある。メディア用に指定されたホテルにはいると、「ライブラリーというものがある」といううわさが伝わってきた。ホテル最上階の「図書室」に行くと、宿泊者であることが証明できれば(ルームナンバーと名前を言えば)酒類がサービスされているというのだ。そこでビールなどを飲みながら、日本の記者仲間たちは、「荒井さんは、いまごろ自室で飲んでいるのだろうか」と話し合ったという。