中東の防御ラインを突破した「ドーハの悲劇」前夜【サッカー記者・荒井義行さんを悼む】(3)の画像
1994年のワールドカップ・アメリカ大会、ボストン会場で。右が荒井義行さん。左は賀川浩さん、中央は中条一雄さん。荒井さんはこの3人のなかではいちばんの長身だったが、小さく見えるのは、記者席の下段に立っているためだ。(c)Y.Osumi

 現在の日本サッカーがあるのは、多くの先達のおかげだ。その尽力者は選手、監督といった直接かかわる人々だけではない。深い愛情を持ってサッカーを世に届け続けてきた大記者を、サッカージャーナリスト大住良之が偲ぶ。

■荒井さんのスタイル

 荒井さんは昔の「素浪人」のように細身で背が高く、目が鋭く、ずっと「角刈り」で通していたため、「怖い」という印象をもった人も多かったと思う。しかし普段はとてももの静かで穏やかな人だった。人と話すときには、優しい目で、相手の話をとてもよく聞いた。手ひどく批判されて怒ることはあっても、選手や監督たちが荒井さんを憎まず、逆に敬愛していたのは、サッカーに対する荒井さんの純粋そのものの情熱とともに、人に対する限りない優しさゆえだったかもしれない。

 襟を立てたカーキ色のコートのポケットに両手をつっこみ、少し背中を丸めて、荒井さんは何も持たずに日本サッカーリーグのスタジアムにやってきた。いや、「仕事道具」はポケットの中にあった。丸めた10枚ほどの原稿用紙と、1本の「BICボールペン」である。取材が終わると、荒井さんは左手でときどき頭をかきながら力のこもった字で記事を書き、電話でそれを読み上げて新聞社のデスクに送っていた。紙面に長い記事を載せる余裕がない日には、原稿用紙にも書かず、頭のなかで組み立てた原稿を電話で送った。荒井さんが記事を読み上げる声は大きく、はっきりとしていたので、周囲にいた記者は誰もが翌日の毎日新聞を開く必要がなかった。

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