■ドイツ戦勝利の裏にあった分析スタッフの充実

 6月シリーズで固まったチームの土台は、9月には欧州の地でも引き続き見られた。アウェイでのドイツ戦を4-1、そこから先発メンバー10人を変えて挑んだトルコ戦で4-2と、ますます力強さを見せている。どういう準備をすることで、欧州での2試合の勝利につながったのだろうか。

「ドイツの分析もしっかりやっていたと思います。分析のテクニカルスタッフの充実というところも、以前より進化しました。6月までは2人体制プラス1人でお願いしていたのですが、7月に、世界と戦っていく上で分析力の基準もさらに上げなければいけないということになりました。

 これまでW杯のときは4人体制でした。カタールW杯のあとに“仕事を整理すればもっと少人数でもやれるのではないか”ということになり、3月に2人でやってもらったのですが、やはり2人では負荷がかかりすぎて難しい部分が出てきました。

 そこで急遽新たにサポートで1人を呼んでいます。6月も2人+1人だったのですが、これは抜本的に変えなければいけないということで、ヨーロッパがオフになったところで、セビージャで2度ヨーロッパリーグチャンピオンになったことのある若林大智テクニカルスタッフに入ってもらいました。反町康治技術委員長からもアドバイスをもらいながらそういう人材を探し、いろんな人に間に入ってもらいながら決まりました」

 3月シリーズと比較してこのように新しいスタッフも加わったことで、さらに組織は変化していった。

「分析はたくさん調べればいいというものではありません。それに、実際の活動の中でミーティングを何時間もできるわけではないので、選手に必要なことをよりシンプルに、コンパクトに伝えなければいけない。いかに濃縮できているかが必要なのです。それにはいろいろなやり方があります」

 実際、チームに新しい風をもたらしていると感じる部分もすでにある。

「若林スタッフはいろいろな監督と仕事をしてきていて、今までの我々のやり方と違う部分もありました。これまでのスタッフにも刺激があったと思います。全体の効率も良くなっていきました。今までいた寺門大輔スタッフ、中下征樹スタッフはJリーグから育ってきてW杯を経験した人材です。そこに若林スタッフが入ったことでヨーロッパでの経験も加わり、その分野でもレベルアップが図れています」


■山本昌邦プロフィール■

やまもと・まさくに 1958年4月4日生まれ。

選手時代をヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)で過ごし、サッカー日本代表としてもプレー。引退後は指導者の道を歩み、同部でのコーチを務める。その後、日本代表のコーチとしてフィリップ・トルシエ氏やジーコ氏を支え、2004年のアテネ五輪では日本代表監督を務める。そして、ジュビロ磐田の監督に就任し、Jリーグでも指揮を執った。今年2月から、日本サッカー協会のナショナルチームダイレクターの職に就く。

(3)へ続く
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