■サッカーと国の成長
クラブレベルでも、アジアへの挑戦は1980年代半ばに始まり、アジアクラブ選手権(現在のAFCチャンピオンズリーグ=ACL=の前身)の決勝戦で3回涙をのんだアルヒラルが1991年に4回目の決勝進出で初優勝を飾ると、ACL時代を含め2021年までに最多の4回の優勝を記録。アルイテハドもACLで2回優勝している。さまざまなクラブが大量の世界的スター選手を獲得した今季以降、その優勝回数はさらに伸びていくだろう。
ただサウジアラビア代表チームは、2007年のアジアカップで6回目の決勝戦に進出しながらイラクに敗れて3回目の準優勝に終わると、短期間ながら低迷の時代にはいる。2010年と2014年のワールドカップで予選突破に失敗する。しかしそこでたちまちのうちに「再興」に成功する。カギは日本を手本とした「育成」だった。各クラブのアカデミーに力を注ぎ、現代サッカーに適応した高い能力をもった選手を次々と生み出すようになったのだ。2022年には、AFCのU-23選手権で初優勝を飾っている。
だがサウジアラビアという国がワールドカップという世界最大のスポーツイベント開催を実現させることは、単にこの国のサッカー界の夢というわけではない。ムハンマド皇太子を中心とする指導層がサウジアラビアという国を「未来」に向けてどういうふうにしていきたいのか、その大きな目的の一翼を担う重要なイベントなのである。
世界有数の「カネ持ち国」が国家プロジェクトの一環として取り組むワールドカップ。その魅力に、FIFAは「人権問題」とどう折り合いをつけるのだろうか。