サッカーの世界において、日本と韓国はライバル関係にある。だが、Jリーグが始まる前、すでにプロ化していた韓国サッカー界は大きく日本をリードしていた。蹴球放浪家・後藤健生は、ピッチ外にも、彼我の大きな差を見せつけられていた。
■馴染み深い韓国
1980年代から90年代にかけて、僕はしょっちゅう韓国に行っていました。ソウル以外にも行きましたし、1985年には平壌(ピョンヤン)にも行きましたが、中でもソウルのことは、生まれ育った東京や、かつて仕事勤めをしていた横浜の次に詳しくなりました。
そして、ソウルに行くたびに大韓蹴球協会に顔を出していました。入場券やプレスパスをもらったり、誰かのインタビューをしたり、資料を集めたりするためです。
たとえば、日韓戦の取材などでも、今と違って日本の協会が取材申請をまとめてくれるわけではなく、韓国協会と直接やり取りをする必要がありましたから、大韓蹴球協会には必ず顔を出さなければなりませんでした。