選手たちを触発する「監督」という立場を超えた人間性【Jリーグを支えた「20年超え監督」たちの貢献】(3)の画像
人とチームを育てる監督が、Jリーグを支えてきた(写真はイメージです) 撮影:中地拓也

 Jリーグはことし、30周年を迎えた。さまざまな人が、それぞれの場所で仕事を果たしてきた結果である。サッカージャーナリスト・大住良之は今回、きらびやかではなくとも着実に結果を出し続けてきた3人の監督にスポットライトを当てた。

■解任の歴史

 石崎信弘にとって、今季就任したヴァンラーレ八戸はJリーグで10クラブ目である。このほかに、旧JFL時代のモンテディオ山形、さらに2017年から2018年にかけては九州リーグからJFL時代のデゲバジャーロ宮崎も指導している。1999年、誕生したばかりのJ2に昇格した大分トリニータの監督に就任、2年連続で3位となり、惜しくもJ1昇格を逃した後、2001年5月に解任される。このとき後を継いだのが小林伸二だった。

 しかし大分から解任されたわずか2か月後、2001年7月にはJ2の川崎フロンターレ監督に就任、2003年には最終節まで昇格争いにからんだが、勝ち点1差で昇格を逃し、同年末に退任。2004年にはJ1清水のヘッドコーチとなったが、4月から実質的な監督となり、7月に正式に監督に就任。しかし第2ステージで14位に終わり、年末に退任。翌2005年、J1東京ヴェルディのコーチとなるが、7月、前任者の解任にともなって代行として3試合で指揮を執る。そして2006年にはJ2だった柏レイソルの監督に就任。1年でJ1に昇格させ、2008年まで指揮を執った。

 2009年にはJ2コンサドーレ札幌の監督に就任。札幌はJSL時代の東芝が川崎から移転してつくられたクラブで、石崎にとってはいわば「古巣」だった。そして2011年にJ1昇格をもたらす。しかし1年で降格、シーズン後に退任。

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