蹴球放浪家・後藤健生は、いくつもの国境を越えてきた。陸続きの大陸では気にすることもなくなるが、ヨーロッパにも忘れられない国境がある。1992年の五輪開催地バルセロナへ向かう途上で、その貴重な体験は待っていた。
■カタルーニャが知られていなかった頃
1992年のバルセロナ・オリンピックを観戦に行く時も、僕は「陸上国境」を越えてスペイン(カタルーニャ)に入りました。
フランスの「AOIフランス航空」(現在は存在せず)という会社のチケットが安かったので、僕はまずパリに入って、パリから列車でバルセロナに向かうことにしました。しかも、ピレネー山中のプッチャルダという人口6000人ほどの田舎町経由です。
なんで、そんな辺鄙な場所に行きたかったのかというと、樺山紘一さんという歴史学者が書いた『カタロニアへの眼』という本を読んだからです。
今では、カタルーニャ(カタロニア)ではカタルーニャ語というスペイン語(カスティーリャ語)とは別の言語が話されていて、フランコ総統の独裁時代には弾圧を受けていたということを知っている人は日本でも少なくないでしょう。とくに、「FCバルセロナ」が存在するので、サッカーファンならカタルーニャについて多少は知っているはずです。
しかし、今から30年以上前の日本ではカタルーニャに関する情報はほとんどなかったのです。そこで、僕はバルセロナに行く前に、この『カタルーニャへの眼』を読んでおくことにしたのです。そして、この本にプッチャルダのことが詳しく書いてあったので、どうしてもそこを見てみたかったというわけです。