■W杯で抜てきされた33歳
その後に「スイーパー・キーパー」の起用で話題になったのは、1974年ワールドカップで世界に衝撃を与えたオランダ代表のリヌス・ミケルス監督だった。当時オランダにはヤン・ファンベベレンというワールドクラスのGKがいたが、ヨハン・クライフなど一部の選手へのオランダ・サッカー協会の特別扱いに強く反発し、ワールドカップへの招集に応じなかった。そこでミケルスが選んだのが、当時すでに33歳で、FCアムステルダムという弱小クラブでプレーしていたヤン・ヨングブロートだった。
彼は1962年に21歳でオランダ代表でデビューしたが、交代出場した5分間のうちに1失点を喫し、その後は忘れられた状態となっていた。しかしアヤックスのGKとして欧州でも知られる存在になっていたGKピート・シュリベールスをベンチに置いても、ミケルスはヨングブロートをプレーさせることを選んだ。彼の「スタイル」が、ミケルスが考える「トータル・フットボール」にぴたりと適合していたからだ。
これはミケルスにとってひとつの「賭け」だったが、ヨングブロートは見事なプレーで期待に応えた。オランダの極端に浅いDFラインの背後のスペースを彼は判断よくカバーし、中盤を極端に狭くするミケルスのサッカーの実現を助けたのだ。