■保有権の誕生
そもそも、19世紀半ばにサッカーが始まったころには、「移籍」などなかった。選手たちは試合ごとにクラブとプレーする約束をし、その約束に従ってプレーしていた。シーズンを通じてひとつのクラブだけでプレーする選手もいたが、1試合限りの選手、数試合の約束をしてプレーする選手も当たり前にいた。
しかし1885年、イングランド協会(FA)はプロフェッショナルを認め、同時に選手の登録制度をスタートさせた。ひとつのクラブに登録したら、同じシーズン中には、FAの許可を得ない限り他のクラブでは登録できないことにしたのだ。ただし当初は、シーズン切り替えの時期には、選手たちは自由にクラブを選ぶことができた。
大変革の契機は、1888年、フットボールリーグの誕生だった。プロの選手を並べたクラブ同士の定期的な対戦はたちまちのうちに人気を博し、競争が激しくなる。そして大都市の人気クラブが高い報酬で他クラブのスター選手を引き抜き、人気を独占するようになる。
引き抜きを防止し、少数の裕福なクラブがスターとタイトルを独占するのを防ぐため、契約が更新されなかった選手でも、自由に他のクラブと契約することを許さないことにしたのは、1893年のことだった。これが「保有権」の始まりであり、その後の世界のプロサッカーの世界を支配した「慣習」だった。「慣習」といっても、あらゆるサッカーの組織(国際サッカー連盟=FIFAから各国の協会まで)が、その「慣習」を規則化していたのだ。