U-20ワールドカップのアルゼンチンでの開催が決まった。当初予定されていたインドネシアからの突然の変更となったが、この決定は日本にも影響を及ぼす可能性がある。広がっていく波紋を、サッカージャーナリスト・後藤健生が考察する。
■驚くべき迅速さ
それにしても、24か国参加で3週間以上にわたって開かれるU-20ワールドカップの代替開催をほとんど準備期間もないままに受け入れ、政府保証も取り付けたというのは驚くべき迅速さだった。
もちろん、サッカー大国のアルゼンチンならスタジアムは確保できるだろうし、2001年にはこの大会(当時の大会名は「ワールドユース選手権大会」)を開催した経験もある。そして、今年の大会の開催都市は4都市に縮小された(たとえば、2019年ポーランド大会は6都市開催だった)。だが、それにしてもアルゼンチン協会(AFA)が短期間で代替開催を決めたのは驚くべきことと言っていい。
実は、アルゼンチンは1月にコロンビアで開かれた南米ユース選手権で決勝ラウンドに残ることもできず、U-20ワールドカップ出場権を逃がしてしまっていた。しかし、開催権を獲得すれば開催国枠で出場できる……。アルゼンチンが早々に代替開催の意思を示した裏には、そうした思惑もあったと言われている。
アルゼンチンにとってU-20ワールドカップというのは非常に重要な大会だった。
同大会は1977年の第1回大会(当時はワールドユース・トーナメント)以来22大会が開催されているが、アルゼンチンはそのうち6回と最多優勝を誇っている。
最初の優勝は日本開催の第2回大会(1979年)で、ディエゴ・マラドーナやラモン・ディアスのチームが圧勝した。
その後しばらく優勝がなかったが、1995年のカタール大会で優勝すると、以後2007年大会までの7大会中なんと5大会で優勝したのだ。