大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第104回「ペレに関する10のことがら」(後編2)サッカーを「ビューティフルゲーム」にした、「王国」の創設者の画像
ペレはいつまでも人々の心の中に生き続ける 写真:ロイター/アフロ
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。「サッカーの王様」を10個のエピソードで探っていく。

 

■その7 「ビューティフルゲームJogo Bonito」

 

 いまや「人類の祭典」と呼ばれ、2022年カタール大会の決勝戦のテレビ観戦者は15億人にものぼったというワールドカップ。しかしそうした存在への大きな転機は、メキシコで開催された第9回大会だったに違いない。初めて全世界に生中継、しかもカラー放送されたのが、この大会だったからだ。そして何よりも、そこで実現されたブラジルの喜びに満ちた攻撃的サッカーこそ、ワールドカップの人気を確たるものとした最大の要因だった。

 この大会で、ブラジルは6戦全勝。初戦、チェコスロバキアに4-1で快勝すると、前回チャンピオンのイングランドに1-0で競り勝ち、ルーマニアには3-2。準々決勝ではペルーを4-2で下し、準決勝もウルグアイに3-1、そして決勝戦ではイタリアを4-1で一蹴した。総得点19(1試合平均3.17点)。右にジャイルジーニョ、左にリベリーノ、中央にはトスタンとペレが並ぶ攻撃陣は、圧倒的なテクニックで相手を翻弄した。

 このブラジルのサッカーは、「ビューティフルゲーム」と呼ばれた。ポルトガル語ではJogo Bonito。サッカーの「別称」あるいは「美称」となっている。その起源には諸説あり、1950年代から使われていたとも言われているが、決定的にブラジルや世界に広まったのは、やはりサッカーが本当に「美しい競技」であった1970年大会のブラジル代表を経てからだった。

 当時の優勝トロフィーは、大会創設に尽力した国際サッカー連盟(FIFA)の第3代会長の名を冠した「ジュール・リメ・カップ」だった。1930年の第1回ウルグアイ大会前製作され、イタリアに保管されていた第二次世界大戦を経て使われ続けたこのトロフィーには、「3回優勝したチームが永久保持できる」という規約があった。その夢を、1958年からわずか4回の大会で実現してしまったのが、1970年大会のブラジルだった。

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