29歳のペレは1958年のような「暴れん坊」ではなかった。しかし攻撃の中心にあって、「ビューティフルゲーム」を見事なまでにプロデュースした。そしてときおり、世界の誰もが思いつかないトリックを見せて、サッカーという競技に新しいイマジネーションを与えた。
準決勝のウルグアイ戦。3-1とリードした終了間際のことだった。ハーフライン付近、左タッチラインのジャイルジーニョがボールをもつ。そして内側からサポートしたトスタンにパスが渡る。少しボールを持ち上がったトスタンは、ピッチ中央を猛烈な勢いで走り上がってくるペレめがけて斜めのスルーパス。しかしウルグアイGKラディスラオ・マズルケビッチは「世界一」と評価される名手だった。トスタンのスルーパスを読み、すばやく前進してペナルティーエリアを出、ちょうどアークのなかでペレの足元に飛び込んだ。左後方からのパスをペレがコントロールするする瞬間を狙ってのディフェンスだった。
だがここでペレが驚くべきプレーを見せた。ボールをスルーし、そのままマズルケビッチの左側をすり抜けたのだ。そしてすばやく方向転換して右前方に流れたボールを追う。マズルケビッチはボールもペレも捕まえ損ね、ペレはゴールエリアの右角あたりでボールに追いつくと、体をひねって右足でシュート。ゴールには必死にカバーにきたウルグアイDFがはいっていたが、シュートはその動きの逆をついてゴール左隅を襲った。ただ残念なことにわずかに左に切れた。
1970年大会は、まさにペレが充実しきった時期のプレー、円熟味とともに、10代のころに見せた圧倒的なスピードとテクニックが組み合わさったプレーに彩られた大会だった。決勝戦で闘志あふれるヘディングシュートで先制点を決めたペレは、こうしてブラジルに3回目の優勝、しかもすべて自らプレーしての優勝をもたらし、自分の名声と「ビューティフルゲーム」を永遠のものとしたのだ。